マーク屋68期朝秀忠選手が引退!!経歴,師匠,弟子,プライベートなどまとめ

マーク屋68期朝秀忠選手のプロフィール

マーク屋68期朝秀忠選手が引退!!経歴,師匠,弟子,プライベートなどまとめ
生年月日     1971/03/11
級班所属日  2020/07/01
今期得点   67.41 –
脚質        追

級班の履歴情報
A級3班  2020/07/01
A級2班  2020/01/01
A級1班  2019/07/01

■身長・体重・体力等

星座 九星 血液型
魚座 二黒 O
身長 体重 胸囲
178.0cm 80.0kg 102.0cm
太股 背筋力 肺活量
60.0cm 150.0kg 5500cc

■競輪学校時代

受験区分 競輪学校1着回数
技能 41回
競輪学校2着回数 競輪学校3着回数
14回 12回
競輪学校着外回数 競輪学校順位
7回 2位
卒業記念レース
200mタイム 400mタイム
1000mタイム 最高速度
ダッシュ力 持続時間
表彰

競輪学校(現選手養成所)68期を在校2位で卒業し、91年8月にデビュー。
翌92年にS級に昇格してからは、恐れ知らずのマーク屋として全国に名を売っていった。

朝秀忠が駆け出しのころ、茨城のマーク屋は他地区に恐れられていた。
師匠の内田幸男(37期=12年1月引退)や、清水孝志(29期=08年9月引退)といった妥協のないマーク屋たちが各地で暴れ回っていたからである。

決して押しつけられたわけじゃない。先輩たちの背中を見て、競輪とはこういうものなんだと覚えたんです」と語っている。
誰が相手でもぶれない競走スタイルは、別線をたびたび嫌がらせた。

マーク屋68期朝秀忠選手の同期

  • 田中 雄彦選手(群馬・68期)
  • 加倉 正義選手(福岡・68期)
  • 山本 登選手(岡山・68期)

マーク屋68期朝秀忠選手の弟子

  • 山下 渡選手(茨城・91期)

マーク屋68期朝秀忠選手の師匠

  •  内田 幸男選手(茨 城・37期)

現役時代、優勝回数36回、303勝の戦歴を残し …“名マーカー”として全国区で活躍し、多数のお弟子さんを育て上げた“名選手”だった。
現在“ホーマック梅園店”に勤めている。

マーク屋68期朝秀忠選手の選手生活

マーク屋として順風満帆に出世していくと思われたが、S級1班には1度も上がれなかった

当時は、4400人もの選手がいる中でS級1班は130人のみ

非常に狭き門だったこともある。
そしてもう1つ、競輪選手としては致命的な故障を抱えていた

「生まれつき膝蓋(しつがい)骨分裂があった。年々悪くなっていき、5年前には完全に膝がぶっ壊れてしまいました」と語っている。
大学病院の医師から「手術しないと治らない」と宣告されたが、この時すでに44歳。
長期の離脱は選手生命に関わるからと、手術を断念。

「ごまかしごまかし走っていたけど、発走機から出るのもやっとの状態。昔は1番車が好きだったのに、最近はSが取れないから1番車が嫌だった」
と語っている。

ルール改正、7車立ての導入、スピード化…。
それらの全てが故障を抱えたベテランのマーク屋にはマイナスに
この数年は成績の急降下に歯止めがかからなかった。

朝秀にはずっと守ってきた信念がある。
選手はお客さんのために走るもの。自分の生活のために走るようになったら終わり。ギャンブルの駒なんだから、お客さんに車券を買ってもらって走れているんです」。
思ったようなパフォーマンスができなくなってからは、信念と現実のはざまで苦しみ、ついに引退という決断に至った。

マーク屋68期朝秀忠選手の引退を表明

ラストランとなった弥彦(15~17日)開催中は、誰にも引退を明かしていなかった
帰郷した翌日に日本競輪選手会の茨城支部に選手手帳を返納。
そこで初めて同県の選手たちは引退を知ったと言う。

マーク屋68期朝秀忠選手の引退レース

※日刊スポーツに引用

25日、朝秀を慕う戸辺裕将、松田優一、芦沢辰弘、吉沢純平らが取手バンクに集まった。

最後の練習で弟子の山下渡が師匠の後ろを固めて黙々と周回を重ねるシーンは、仲間たちの胸を打った。

孫弟子になる梁島邦友は、同時参加の松阪最終日に朝秀と初連係。最後に選手としての心構えを教え込んでもらえた。
7車立てにもいろいろ気付く部分はあったが、やっぱり競輪は9車のが面白い。どのようにスタイルが変わっても、後輩たちにはお客さんのために一生懸命走ってもらいたいですね

最後の最後まで「お客さまファースト」を貫いた姿は、真のプロフェッショナル。
その背中に憧れ、多大な影響を受けた選手は多い。自身が勝負服を脱いでも「朝秀イズム」は、しっかりと後輩たちに伝承されていく。