競輪選手危険と隣り合わせ‼死亡事故もる‼

競輪選手危険と隣り合わせ‼死亡事故もる‼

ライターのJEY
競輪の最高速度は80キロと言われてます。そしてこの競技用自転車にはブレーキが付いていません。競輪は常に危険と隣り合わせの競技だという事を踏まえ過去に起きた事故をまとめてみました。
競輪落車事故

落車による事故

競輪において落車事故は多くおきてます。自転車にはブレーキが無いので止める時には、ペダルを逆回転させて速度を落としますが、急に止まれないばかりか、一気に減速することも難しいです。そのため、他の自転車と接触したり、バランスを崩したり、さらには落車した自転車に衝突したりして、落車による事故が多く起きています。
ペダルはシューズと固定されており、落車すると自転車ごと転がっていくこともあり、鎖骨や肋骨を骨折することもあります。
ライターのJEY
近年はヘルメットやプロテクターなども改善され、厳しい事故対策が取られてるので、死亡事故そのものは減っています。それでも落車すれば負傷は免れません。
内田慶選手2008年9月11日事故

競技中に死亡した競輪選手

内田慶
2008年9月11日、第51回オールスター競輪(一宮競輪場)第7レース(発走時刻、午後1時15分)に9番車で出走した際、最終周回2センター(3コーナー)付近において、主導権争いに破れて後方へと後退中の選手と、捲りを試みていた選手の3番手を追走していた選手の間に挟まれ落車。この時他車との接触により前輪のワイヤースポークが全壊したため車体ごと前のめりに崩れ落ち、顔面からバンクに叩きつけられたことによる衝撃が致命傷となってしまった。これにより頭蓋骨を骨折し、うつ伏せのまま吐血して動けなくなり、すぐに一宮競輪場の近隣にある大雄会病院へ緊急搬送されたが、同日午後3時59分、外傷性クモ膜下出血のため死去した[2]。享年28(27歳没)。
坂本照雄
2012年7月7日、小田原競輪場第9レース、A級特予選に出走(発走時刻午後2時23分)。最後の直線で、前方で転倒して落車した選手を避けようとしてコースから外れ、幅80センチ、高さ2メートルある、写真判定用ミラーボックスの緩衝用マットに衝突したため、意識不明となり、競輪場に待機していた看護師の心臓マッサージと救急隊員によるAED治療を受けながら小田原市立病院に搬送されたが、同年同日午後3時38分に死亡が確認された。40歳没。死因は外傷性心肺不全とみられる。
中垣輝光
2010年2月15日、広島競輪場第3レース・A級チャレンジ予選で、最終5周目に入ってから他の8選手よりも大きく遅れ始め、最終第3コーナー付近でよろけるように倒れた。既に心肺停止状態だったため、近くの病院に運ばれたが、まもなく死亡した。48歳没。死因は虚血性心疾患だった。
成島 勇
1998年7月23日、立川競輪場でのレースで、最終4角付近で他選手と接触して転倒し、その際頭蓋骨を骨折したため翌日死亡した。22歳没。
服部 雅春
2003年1月3日、伊東温泉競輪場第2レース・A級一般戦において、先行する選手の番手(2番手のこと)位置で直線を迎えたが、その後、突然左右にふらついてしまった。結果的に4着でゴールしたが、ゴール通過後のクールダウンの最中に転倒。すぐに同競輪場医務室駐在の医師が診察にあたったが、既にその時点で心停止状態となっていた。それから2時間後、伊東市内の病院で死亡した。46歳没。
福島 昭亮
1967年のオールスター競輪(岸和田競輪場)ではドリームレースのメンバーに選出された。同年4月に行われたドリームレースにおいて落車し、頭がい骨骨折により死亡した。
東内 典之
1992年5月17日、福井競輪場でのレースで、最終第2センターで前走者に接触して転倒し、頭部を強打。脳挫傷および急性硬膜下血腫のために死亡した。30歳没。
ライターのJEY
7名の選手が命を落としています。若い選手で22歳って悲しいです。落車事故は選手生命にかかわる事です!落車によって車券がゴミクズ化したとしても、絶対に罵声を浴びせるような真似はやめてくださいね!!
坂本選手2012年事故

競艇での死亡事故件数

 

選手名 死亡年月日 享年 出身 登録番号 競技場
西塔莞爾 1953年1月7日 29 三重 302 児島
横溝幸雄 1953年12月24日 34 長崎 37 唐津
大井手善信 1954年2月25日 20 佐賀 863 唐津
中島常价 1962年1月6日 32 福井 591 琵琶湖
小笠原政敏 1962年7月25日 28 長崎 1299 鳴門
大西 昭 1963年7月9日 31 徳島 148 常滑
川染一夫 1965年2月22日 35 岡山 1106 若松
和泉定治 1965年3月23日 40 岡山 910 児島
中井紘司 1965年12月23日 24 東京 1874 芦屋
半田弘志 1968年5月14日 29 群馬 1371 若松
中村五喜 1968年10月14日 34 広島 262 唐津
蛇山 清 1970年11月1日 23 徳島 2356 鳴門
石塚一雄 1972年11月12日 35 静岡 1335 平和島
池田 博 1973年10月7日 52 長崎 1100 多摩川
筒井博利 1977年9月30日 31 徳島 2189 若松
一瀬 隆 1978年8月14日 27 長崎 2467 大村
花田龍美 1981年8月24日 34 埼玉 2310 大村
勝股 勇 1982年1月23日 38 愛知 1747 江戸川
安心院信行 1983年1月24日 30 大分 2753 三国
宮本 力 1985年1月3日 37 栃木 2482 江戸川
清水正博 1989年1月6日 23 群馬 3366 桐生
水野定夫 1993年11月22日 48 愛知 1822 江戸川
有吉貴之 1997年9月4日 27 山口 3526
伊藤公二 1998年3月23日 55 香川 1876 浜名湖
沢田菊司 1999年11月6日 48 愛知 2546 平和島
木村厚子 2003年5月25日 38 埼玉 3196
中島康孝 2004年3月28日 26 愛知 4029 尼崎
坂谷真史 2007年2月26日 26 福井 4048 住之江
岩永高弘 2010年5月14日 36 長崎 3861 若松
鈴木詔子 2013年11月2日 52 東京 2988 下関
ライターのJEY
競艇は競輪より死亡事故が多く31名の選手が亡くなられていました。やはりモータースポーツと人力との違いもありますよね。
全ての公営競技にて、このような事故が今後起きない事を祈ります。