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[意外と知らない]競輪選手の年齢と引退後の生活とは?

競輪はスポーツの中でも選手寿命の長く年齢が高い

競輪プレス
成績が悪ければ、20代でも引退に追い込まれる厳しさのある一方、40代はもちろん、50代になっても第一線で活躍する選手が珍しくない。

24年ぶりに競輪最高齢勝利を更新した

2019年11月23日の取手1Rを現役最年長レーサー三ツ井勉(神奈川、45期)が差し切り勝ち。

競輪の最高齢勝利記録を64歳1カ月14日に更新。
従来の記録は95年11月立川B級戦を勝った橘内茂夫(東京、期前)の64歳0カ月17日。

24年ぶりに記録を塗り替えた三ツ井は、「そんな記録は知らなかったよ。知るよしもないしね。良かった。うれしい」と笑顔を見せた。
18年7月以来に手にした白星
「最近も2着はあったけど1着は久しぶり。今はみんな強いからね。前で頑張った吉沢(賢)君のおかげだよ。このところ千葉勢に世話になってばかり。前期の成績が悪すぎて引退が近いけど、まだまだ頑張ります」と話した。

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64歳になっても現役選手として活躍していることは、想像もつかないほどに自分に厳しくなければ、できないことである。

来年には、年金が受給されると歳となる、三ツ井勉選手。
出走する際にはぜひ応援して欲しい!!

51歳になる神山雄一郎選手

51歳になってもトップ選手であるS級S1班としてバリバリで活躍している。

神山雄一郎
生年月日 級班所属日
1968/04/07 2016/12/27
今期得点 次期級班
107.69 S級2班
脚質 性別

■身長・体重・体力等

星座 九星 血液型
牡羊座 五黄 B
身長 体重 胸囲
180.0cm 87.0kg 104.0cm
太股 背筋力 肺活量
61.0cm 180.0kg 6300cc
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本当にレジェンドという言葉が一番似合う選手である。

息子の神山拓也選手も同じS級1班として活躍しており競輪一家である。
こんなかっこいい親父になりたいものである。

競輪選手の選手寿命が長い理由

競輪選手の寿命が長い主な理由としては、次の2点があげられる。

自転車を漕ぐという競技の特性から、体への負担が少ない

ほとんどのスポーツは、地面や床の上で行われる。
動くたびに、地面や床からの反発を受け、その衝撃が自分の身体への負担となる。
その負担を何十年間も受け続ければ、関節や腰が悲鳴をあげてもおかしくない。

現実に、多くのスポーツで、ベテラン選手になるほど足首やひざ、股関節や腰に大きなダメージを受け、パフォーマンス力が落ちていきがちである。
その点、競輪選手は、自転車をこぐため、地面や床からの反発を受けない。
また、ペダルをこいでも、ペダルが回転していくため、足に受ける衝撃も小さくてすむのである。

腰痛に悩む選手はいるが、基本的には、レースにかかる時間が短いため、日頃のケアで予防もしやすいのである。

競輪独特の戦法も選手寿命を伸ばしている

関節や腰に受けるダメージが少ないといっても、加齢とともに全身の体力は衰える。
走行タイムだけを競う個人スプリントのような種目なら、30代後半から40歳になれば、若い選手になかなか勝てなくなる。
ところが、競輪は、走行タイムではなく、ゴールを通過した順番でレース結果を決まる。

しかも、そのレースでは、競輪独特の戦術が用いられる。
競輪のレースは、参加選手が1列になってバンクを周回し、最後の1周でラストスパートをかけるという展開がほとんどである。

つまり、2000m、3000mのレースでも、勝負の行方は、ほぼ最後の1周だけにかかっている。
競輪の最高速度は時速70キロといわれるが、2000メートルのレースでも、選手が全力を出すのは、最後の500〜800メートル。

しかも、1列で走行中は、同じグループの選手を自分の前に走らせ、風よけとすることもできる。

先頭を走ると空気抵抗を受け、体力を消耗してしまうが、風よけを置くことで、反対に体力を温存しながら、ラストスパートに賭けることができる。
さらに、ラストスパートの瞬間、味方の選手が、ライバル選手の進路を妨害したり、体当たりすることも許されている。
ラストスパートに向けて、体力を温存しながら、ライバル選手をつぶすことも可能で、その分、高齢の選手でも、勝てる確率がアップするのである。

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落車して大きなケガをしなければ、少なくとも40代や50代までは続けられるスポーツになっているのが、選手寿命を伸ばしてる大きな要因である。

競輪選手の引退の平均年齢は約44歳

年齢が高くなると、持久力やパワーは衰えるが、反対に、駆け引きやレース展開は巧みになる。
体力を温存しておいて、最後の一瞬の追い込みでレースを制するなど、レース展開を工夫すれば、現役を長く続けることが可能になってくる。
ただし、成績が悪ければ、20代でも引退に追い込まれるのも現実である。
体力の限界を感じたり、成績が低下したことで引退を決意する人も多いがそれでも高い平均であると言える。

S級からA級に陥落したり、最下位のA級3班に降格した時がきっかけになることが大きいな要因である。
だいたい40歳くらいで引退を考えるようになり、44歳くらいが平均的な引退年齢となる。

40代前半で引退が多いのは、現役選手を20年以上務めれば、約2000万円の退職金が出るからという事情もある。また、現役生活20年以上で、引退後も年間約120万円の年金がもらえる。
その退職金や年金は、現役時代、獲得賞金の中から掛け金を払っている。

引退後の仕事のメインは職員やガードマン

引退後の生活は、さまざまである。
多くの就職先は、競輪場の職員やガードマンである。

競輪場の検車や施設の運営スタッフ、売店スタッフなどの職員として、再就職するケースが多い傾向になっている。
競輪場の内外にあるガイダンスコーナーで働いているのも、たいてい元競輪選手。
また、元競輪選手を積極的に雇う警備会社があり、競輪場内外の警備を担当している。

現役時代の収入が多かった選手は、現役時代から事業を始めたり、資金を貯めて準備をしている人もいる。
スポーツクラブやアパートを経営したり、飲食店をもつ人もいる。
現役時代に人気のあった選手は、テレビなどの解説者になる人もいるようである。

競輪の世界で20年!
40歳を過ぎてメシ屋に転身した元競輪選手の栃窪保さん

高校野球で甲子園にいって野球のエリート街道まっしぐらだった、栃窪保さんが、競輪を目指したのは20才の時。

それから20年もの間、競輪選手として活躍した。

しかし、競輪はとてもケガの多いスポーツである。
栃窪保さんも転倒で数え切れないほど骨を折っていた。
肋骨が肺に刺さったせいで右の肺なんかは3分の2くらい機能してないほどの後遺症が今でもあるそう。

40歳を過ぎた頃に『このままいくと体が壊れちゃうなあ』と本気で悩んで、引退を決意

まぁ簡単に言えば、両親の店を継いだ元競輪選手の栃窪保さん
先代主人は、戦前に銀座の名門レストランである三笠会館で修行し、その後、昭和38年くらいに、前橋で『友鶴』という店を開始。
東京に比べると人が少ないのでどうにか工夫して、どんなお客さんにも対応できるようにと、ラーメンからカツ丼まで本当になんでも出す店にして今のお店が出来上がった。

70歳をすぎた今でも夫婦で営んでいる。

競輪プレス

競輪選手という経歴から街中のレストランの店主になった栃窪保さん。

普段は、現役選手しか目に入らないが、過去の歴史を知るのもまた一興である。