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【競輪平成のベストレース】…鈴木誠が切り開いた新時代、将来を嘱望された岡崎孝士

平成のベストレース 競輪

令和になって2ヶ月がすぎた。
31年に渡った平成時代のギャンブル名勝負を振り返って行こう!
今回は、平成の競輪名勝負を紹介しようと思う。
人力最速の乗り物、自転車による公営競技である競輪
昭和末期(昭和60年)からは「KEIRINグランプリ」を最高峰とする開催形態に変わり、また、平成の間には様々なタイプの選手が登場した。
あの中野浩一が引退したのは平成4年(’92年)。
昭和から平成へ実際にトップ選手も入れ替わった平成前半のベストレースを厳選して紹介して行こう!!

中野浩一の後を切り開いた鈴木誠選手

<平成3年12月30日・KEIRINグランプリ>
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中野浩一後の始まり・平成3年のKEIRINグランプリを制した鈴木誠

昭和60年から始まったKEIRINグランプリだったが、平成元年(’89年)は選手賞金問題で開催が中止となってしまった。
平成初のKEIRINグランプリは平成2年(’90年)。
優勝は「ロスの超特急」と呼ばれた坂本勉で2着が中野浩一であったが、中野浩一のKEIRINグランプリ出場はこれが最後となった。
「(中野浩一後の)平成競輪前半で頂点に君臨した選手といえば、間違いなく神山雄一郎と吉岡稔真の両者が思い浮かぶが、平成競輪の本格的な幕開けは鈴木誠という選手の登場から始まっただろう。
鈴木選手は平成2年にG1の高松宮記念杯競輪を優勝し、この年のグランプリ初出走(4着)。
翌平成3年(’91年)に2つ目のタイトルとなるG1の全日本選抜競輪を制覇し、平成3年のKEIRINグランプリ出場時には日本のトップ選手の一人と認められて出場
 1滝澤正光 2坂本勉 3井上茂徳 4神山雄一郎 5佐々木昭彦
6坂巻正巳 7鈴木誠 8俵信之 9小橋正義

鈴木は千葉の先輩・滝澤正光とラインを形成。
勝負どころでしっかり好位となる中団を確保することに成功し、残り1周の時点で発生した落車も冷静に避け、後ろの滝澤を振り切っての優勝。
競輪と言えば、中野、井上(茂徳)、滝澤ではなく、鈴木の時代到来のレースと言える……」
しかし、翌年に登場した吉岡稔真によって競輪界は一変する。
吉岡は強烈なスピードを武器に平成競輪の主役となり、出場するレースでは「吉岡オッズ」と呼ばれた圧倒的な強さと人気を集めた。
「鈴木の時代が現実となることはなかったが、その後も埋没することはなく、特別競輪の決勝やグランプリへコンスタントに勝ち上がり、吉岡や神山を相手に奮闘を続けてた。ベテランとなった平成17年(’05年)のG1松戸ダービーを40歳で優勝
中野浩一から吉岡稔真に主役が変わる合間に風穴をあけた鈴木誠と平成3年のKEIRINグランプリは「平成競輪前期を語る上で絶対外せないワードです」(政春氏)

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平成中期「吉岡神山時代」を支えた若手選手の輝き

<平成10年・G1西武園ダービー決勝戦>
平成を代表する競輪選手を真っ先に挙げればこの2人だ。
だが、自転車競技にはつきものの風圧、これに抗うために生まれる作戦こそ競輪の醍醐味だ。
岡崎孝士が輝いたのは平成10年(’98年)、G1西武園ダービー決勝戦だ。
1神山雄一郎 2小嶋敬二 3吉岡稔真 4金田健一郎 5鈴木誠 6森内章之 7山田裕仁 8岡崎孝士 9稲村成浩
「レースは岡崎が先輩吉岡を引っ張って先行、番手から吉岡が抜け出したことで捲り追い込んできた神山の猛追をしのいで優勝。吉岡1着、神山2着というありそうで実は中々見られない決着を見せたレースだ。」

2強が激突すると、競輪の場合はどちらかが作戦失敗に終わり両立は難しい。
しかし、岡崎の奮闘によってそれは実現した。
「岡崎は9着でしたが観客から役目を果たした彼に対して辛らつな言葉を投げかける客はいなかったと記憶しています。そして大会をこのレースを見届けたファンは、近い将来吉岡の追い込みを振り切ってG1優勝を成し遂げるだろうと確信を持ったと思います。残念ながらその期待は幻となった…
岡崎はこの西武園ダービーをピークに成績は緩やかに下降していき、平成23年(’11年)に引退、バンクを去った。
 時代の節目、そして平成新時代に将来を嘱望された若手の輝き…
人がおりなす競走からこそ、ただ「勝った負けた」だけではないロマンがそこにはあるのかもしれない。