レジェンド稲垣裕之選手の戦績,獲得賞金,プロフィールなどまとめ

レジェンド稲垣裕之選手のプロフィール

級班所属 2017年12月27日
期別 86期
級班 S級1班
次期級班 S級1班
性別 男
血液型 B型
身長 178.0cm
体重 83.0kg
胸囲 100.0cm 太もも 65.0cm
背筋 250.0kg 肺活量 5440cc

京都府立西舞鶴高等学校在学中から競輪選手を目指し、高校3年生のときに日本競輪学校を受験するも不合格となる。

卒業後は海上自衛官となったが、館山航空基地のヘリコプター整備員としての勤務の傍ら、競輪選手になるためのトレーニングを積んだ結果、3回目の受験となった2000年に合格を果たし第86期生として競輪学校に入学。同期に井上昌己(長崎)、村上博幸(京都)らがいる中、在校競走成績14位で卒業した。

2001年8月4日、富山競輪場でデビュー。
初勝利も同日。GI初出場は2003年の寬仁親王牌(前橋競輪場)。
また同年のヤンググランプリ(京王閣競輪場)にも出場しこの後、稲垣は競輪だけでなく、オリンピック出場の夢も抱くようになる。

レジェンド稲垣裕之選手の同期

  • 井上昌己選手(長崎)
  • 村上博幸選手(京都)

レジェンド稲垣裕之選手の弟子

  • 山崎 光展選手(京 都・93期)

レジェンド稲垣裕之選手の師匠

  • 師匠:八倉伊佐夫選手1975年度高校総体(インターハイ)個人ベスト8(相撲)。
    1976年度京都相撲選手権個人優勝。卒業時に日本競輪学校の適性試験を受験して合格し第42期生として入学。
    同期には中里光典、岡本新吾らがいる。
    1980年代にはS級選手として数々の特別競輪に出場した。
    選手生活の晩年は日本競輪選手会の京都支部長も務めていたが、2013年12月26日の向日町競輪場第2R・A級チャレンジ一般戦4着をもって引退を表明し、2014年1月7日に選手登録消除。通算成績2907戦321勝。優勝20回。

レジェンド稲垣裕之選手の年収,賞金額

  • 2020年獲得賞金ランキング21位:13,783,000 円
  • 2019年獲得賞金ランキング50位:28,041,400 円
  • 2018年獲得賞金ランキング圏外:27,352,000 円
  • 2017年獲得賞金ランキング12位:46,650,000 円
  • 2016年獲得賞金ランキング3位:103,534,000 円
  • 2015年獲得賞金ランキング6位:78,018,200 円
  • 2015年獲得賞金ランキング14位:49,396,000 円
競輪プレス
42歳となった現在でも最前線で競輪界を引っ張って行っている。

レジェンド稲垣裕之選手の戦績

  • 第47回オールスター競輪 8着(2004)
  • 第62回高松宮記念杯競輪 9着(2011)
  • 第53回朝日新聞社杯競輪祭 4着(2011)
  • 第21回寛仁親王牌 5着(2012)
  • 第67回日本選手権競輪 9着(2014)
  • 第56回朝日新聞社杯競輪祭 6着(2014)
  • 第30回読売新聞社杯全日本選抜競輪 5着(2015)
  • 第66回高松宮記念杯競輪 2着(2015)[5]
  • 第58回オールスター競輪 3着(2015)
  • 第31回読売新聞社杯全日本選抜競輪 落車失格(2016)
  • 第59回オールスター競輪 2着(2016)
  • 第25回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント 優勝(2016)
  • 第58回朝日新聞社杯競輪祭 3着(2016)
  • 第32回読売新聞社杯全日本選抜競輪 9着(2017)
  • 第68回高松宮記念杯競輪 8着(2017)

2004年のオールスター競輪において、初のGI決勝進出を決め、マークについた市田佳寿浩を従えて最終2センター付近まで主導権を握った(8着)。

また同年のヤンググランプリ(立川競輪場)にも出場(4着)したが、翌2005年にトラックレースのナショナルチーム入りを果たす

2005年~2006年シーズンのトラックワールドカップの第1戦、第4戦の1kmタイムトライアルに出場し、それぞれ7位、5位に入る健闘を見せた。
また同年の世界自転車選手権の1kmタイムトライアルにも出場した(18位)。
また同年12月、ドーハで開催されたアジア競技大会のケイリンでは銅メダルを獲得し、この時点では北京オリンピックへの出場を視野に入れていた。

しかし2007年10月に、宮城県の大和町で開催された全日本自転車競技選手権大会のケイリンで3位に終わったことからナショナルチーム入りを果たすことができず、この時点で北京五輪への道も絶たれた形となった。

一方、競輪でもこの間、2005年の高知記念優勝や、2006年のサマーナイトフェスティバルを含む、GIIでは3回の決勝進出を果たしていたが、北京五輪出場への道が事実上絶たれた全日本選手権終了から約2週間後に開催されたふるさとダービー(松阪競輪場)において、初日こそ6着だったものの二次予選、準決勝と1着で勝ちあがり、決勝でも最終バックから捲って、逃げる小林大介の番手回りという絶好の展開となった長塚智広らを退け、初のGII制覇を果たした。

2015年は高松宮記念杯競輪の決勝で2着となり、オールスター競輪での3着を含むGI決勝進出3回と共同通信社杯競輪決勝の3着を合わせた年間獲得賞金上位により、KEIRINグランプリへの出場権を初めて獲得した。JKA「平成27年 表彰選手」の特別敢闘選手賞を受賞した(初受賞)。

2016年は8月のオールスター競輪の決勝で、逃げた村上義弘の番手から捲ったものの岩津裕介に差され2着(1/4車輪差)となった[2][3]。続く10月の寛仁親王牌の決勝では、逃げる脇本雄太の番手より最終バックから番手捲りを放ち平原康多の猛追をしのぎ、12度目の挑戦で初の特別競輪優勝を手にした。

レジェンド稲垣裕之選手の今後の出走予定

  • サンケイスポーツ杯 柴田勝家賞
    福井 F1 06/29~07/01
  • サマーナイトフェスティバル
    いわき平 サマー 07/10~07/12
  • 瑞峰立山賞争奪戦
    富山 G3 07/30~08/02
  • オールスター競輪
    名古屋 オール 08/12~08/16